都だより

2005年09月14日

「まいどおおきに!」(第六話)

山鉾の「固有名詞」説明の続きです。中国の故事を題材にしていますが「孟宗(もうそう)山」と「郭巨(かっきょ)山」は特に親への「孝養・孝行」の大切さを説いた倫理系とも云うべきテーマになっています。病身の母を養う孟宗が雪中に筍(たけのこ)を掘りあてた故事、郭巨が母を養う為にわが子を埋めようと決意して土を掘り起こした所、土中から黄金の釜が現れ、そのお陰で孝養を尽くすことが出来た話など。昔の町衆の「親孝行」への強い想いが祇園祭を通じて伝わってくると思いませんか!、とは少し説教臭さがすぎますかナ。
当時の「教養科目」のひとつ・謡曲をテーマとした山は「木賊(とくさ)山」「芦刈山」の二つです。町衆の高い文化レベルを表している例です。珍しい形をした山鉾を二つ。「船鉾」。神功皇后の勇壮な船出を表す「船」を象ってます。「蟷螂(別称:かまきり)山」は車に同調して「かまきり」が動く唯一のカラクリ人形の山です。

山鉾の巡行順番は毎年変ります。「くじ」を引いて順番を決めますが先頭としんがり(最後尾)だけは「不動」です。特に、先頭は「くじ引かず」の「長刀鉾」ですが唯一、お稚児さんが乗り込んでます。鉾頭の「長刀」は怨霊を鎮め、邪気・疫神を祓う祇園祭の象徴と考えても良いでしょう。

maekake1.jpg 「山伏山」の前掛け doukake1.jpg 写真上)「山伏山」の胴掛け
miokuri1.jpg 「山伏山」の古見送り mizuhiki1.jpg 「山伏山」水引き(機織図)


祇園祭・山鉾の最大の魅力のひとつは、鉾の「細工」に加えての山鉾を飾る豪華な「前掛け・胴掛け・見送り・水引き」などです。これらの「飾り」のほとんどは山鉾のテーマと直接、関係はありません。例えば、「鯉山」と「鶏(にわとり)鉾」の胴掛けは16C・ベルギー製タペストリーで、図柄はギリシャ神話の「イリアス」を題材に採ってます。いずれも「重要文化財」です。函谷鉾の胴掛けも同じくベルギー製ですがデザインは「旧約聖書」の一場面を描いています。無論「重文」です。いずれも数百年前にヨーロッパからの「輸入品」であり、当時の室町商人の国際的なつながりと「経済力」の凄さを象徴していると言えましょう。「山伏山」の水引きは大変珍しいデザインです。「機織図」と云い、絹織物の「養蚕から織物」までの全生産工程を刺繍で描いてます。中国からの古渡りの逸品ですが、繊維の街・室町にふさわしい図柄であり、鉾町の誇りでもあります。祇園祭の説明はいくら紙数があっても足りません。兎も角、「一見に如かず!」です。是非、一度「おいでやす!」。一度来られた人は二度でも三度でも「おいでやす!」。
祇園祭のお話は今回でひとまず終わりとします。

次回は、雨が降っても、槍が降っても、毎月一回、絶対に中止のない「天神さん」と「弘法さん」の縁日についてお話しする予定です。

それでは、みなさん今回はこれにて 
「まいどおおきに!」

2005年09月03日

「まいどおおきに!」(第五話)

それぞれの「鉾町(ほこちょう)」が何故その「固有・テーマ」を選んだのか、明確な由来は分かりません。現在の山鉾32基の「テーマ」別分類をしてみますと

    a.「信仰・神話・神様など」に由来したモノ:9基
    b.「中国の故事・伝承」に由来したモノ:7基
    c.「超人・聖人など」に由来したモノ:4基
    d.「日本の故事・武勇談など」に由来したモノ:7基
    e.「謡曲」に由来したモノ:2基

その他:3基等と分類も可能ですが、内容は多彩です。

広くとらえますとやはり、神様・神話・聖人・超人を通じての「信心・信仰」に由来するテーマが多く(13基)、ついで「中国故事(7基)」のテーマ等に人気が集中しています。江戸時代の室町商人・富裕階級の人々は財力だけでは無く、日本一、洗練された市民・教養人であり、全体としての傾向を一覧しますと其々に「意味の深さ」を強く感じるテーマが選ばれていると思います。全部をお話しする紙数はありませんので「山伏山」と同じ「室町通り」に所在する山鉾を中心に各テーマ代表を選んで以下、お話しします。

まず「山伏山」は超人・信仰系に入りますが、平安初期に実在された「浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)」というお名前の聖人をお祀りしています。幼少より秀才の誉れ高く佛・神(修験道)両道を修められた聖人で、宇多天皇の信頼篤く、数々の「貴瑞(きずい)・奇跡」を顕(あらわ)されたことで有名です。傾いた、京都・八坂「法観寺」の搭を念力で真っ直ぐに建て直した伝承や一度、亡くなった父(三善清行)をその葬列の中で甦生させた故事は特に有名です。「山」のデザインは霊場・大峯山に入山される山伏姿の「貴所」さまのお姿を現しています。
修験道をテーマとした「山」はもうひとつ「役ノ行者(えんのぎょうじゃ)山」があります。「役ノ小角(おずね)」は山岳修験道を創始した超人ですが、伝説上の人物です。北隣の鉾町の「鯉山」。中国故事のひとつ、龍門の滝を逆登る勇壮な鯉の姿を現しています。登竜門の語源です。



「山伏山」。浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)聖人。


「鯉山」中国故事のひとつ、龍門の滝を逆登る勇壮な鯉の姿

南隣の「菊水鉾」。菊の露を飲んで長寿を保ったと言う「童子伝説」がテーマです。江戸時代に焼失した鉾を戦後復活した唯一の「昭和の鉾」です。四条通りを渡って直ぐに「鶏(にわとり)鉾」があります。これも中国の有名な故事ですが「舜の時代」、天下が泰平に治まり、訴訟を告げる太鼓を使う者がなく「鶏が巣を作った」との伝承がテーマになってます。以下、次回。

今回もご一覧いただきまして
「まいどおおきに!」

2005年08月20日

「まいどおおきに!」(第四話)

今回から山鉾(やまほこ)に付けられた「固有名詞」についてお話しようと思うのですが、本題に入る前に少し予備知識が必要かと思います。
祇園(会)祭りが「官祭」であるとお話しましたネ。官祭とは朝廷が国家行事として主催するお祭りですから「経費」は当然、朝廷(国家)予算で賄います。しかも、朝廷の威信が懸かってますからお祭り全体のデザインも相応に「体裁」を必要とする。あんまり、ミミッチイことは出来ない訳です。行列も人数を整え、賑々しく威厳を保ち、お飾りや服装も出来るだけ華麗・華美に飾るということになります。実際に費用を負担するのは貴族・公家ですが、そう謂う「貴人・高官」同士の見栄や競争心も働く問題もある訳です。そして、そういう傾向が年々増幅し、比例的に経費が増え、負担が重くなるという事になって行きます。ところが、平安末期頃になりますと、武家の力が増し、相対的に公家の力が落ち、負担能力が低下して「官」の力だけではお祭りの開催が危うくなる。12世紀はじめ頃にはそんな状態になって来ている訳です。
下世話に申しますと、新しい「スポンサ-」が必要となってきた訳です。

「朝廷(国家)のお祭り」「神事」という基本線は維持しながら、経費だけ「官」以外のル-トに求めたい。甚だ、虫の良い話ですが三百年近く歴史のあるお祭りともなるとちゃんと新スポンサ-が現れるものです。それが、京都の新町・室町の商人、富裕階級のいわゆる「町衆」とよばれた人々の集団です。
はじめは「所役」「役負担」など上からの一種の強制(税金?)のようだったと思いますが、町衆は祇園祭の経費負担に同意します。そして、負担の「分担ル-ル」や「負担の単位」など、受け皿の自主的制度が出来上っていきます。この負担単位が後、「鉾町(ほこちょう)」に成長して行きます。応仁の乱(室町幕府の時代)以前に、すでに山鉾58基が生まれています。祇園祭りの歴史上、「数」だけを問題とすれば、この頃がピ-クであったのではないでしょうか。応仁の乱の中断を経て、復活してからの祇園祭は「町衆の祭」という性格を強めます。山鉾には既に「固有名詞」が付いてますが、「山」は毎年テ-マが変わることもありました。山鉾の「固有名詞」が現在の姿に固定したのはそれ程古い話ではなく、江戸時代中期以降のようです(それでも300年以上昔ですが)。現在残されている山鉾のテ-マも「中国の故事、武勇談、神仏信仰、謡曲、修験道、伝説」など等多彩です。期せずして、当時の京都市民・町衆の文化レベルの表現であり、関心の対象を知る上で興味ある資料です。

さて「山伏山」は応仁の乱以前から同じ場所に存在していますが、現在と同じ「形」であったかどうかは分かってません。「山伏山」は修験道・信仰の双方に関わるテ-マになっています。 

今回の話はここまで。
「まいどおおきに!」

2005年07月03日

「まいどおおきに!」(第三話)

今回も祇園祭(会)の続きをお話ししたいと思います。
祇園祭と言いますと、反射的に、あの豪華な「鉾」の姿を思い浮かべる人が多かろうと思います。熱暑の都大路を、動く美術館とも言われる鉾や山が列を成して美々しく巡行する姿は一連の祇園祭りの行事の中で、最も華やかで堂々としていて、圧巻です。
既に室町時代の前半頃には、ほぼ現在の「山・鉾」の形が出来上がっていて、今と変らぬ姿で巡行していたことを思いますと、誰しもこのお祭りの歴史の厚さに圧倒されざるを得ないと思います。
祇園祭りは千年を超える歴史がありますが「鉾巡行」の歴史だけを考えましても七百年以上、続いています。しかし、前回にも少し申しましたが、都全体が焼け野原になった、あの有名な「応仁の乱(1466~1477)の為、三十年間中断をしています。そして、明応九年(1500年)に、長期の空白の後、復活しました。「乱」以前には鉾と山を合わせて58基ありましたが、「乱」後には半分強の37基に減りました。しかし、長い空白を超えて「復活」したことは奇跡ではないかと思います。このお祭りに込められた、特別な「重み」を感じざるをえません。今、「鉾」が7基、「山」が24基(内、3基は曳山)、合計31基が巡行に参加し、その内容は時代変遷と共に変化して来ましたが「数」はほぼ16世紀当時の規模を維持していると言えましょう。

 ここで「鉾と山」の違いについて簡単にお話ししておきましょう。

本当は「一目」みれば判るのですが、「鉾」は鉾屋根を四本柱が支えた形の構造物の真ん中に、真木(鉾:約25m)を立て(頭に鉾のシンボルが付く)、大きな車輪が四つ付いています。構造の周囲に豪華な「見送りと水引」(重文・国宝も多い)をめぐらせ飾ります。鉾床に囃子(はやし)方が乗り(約40名)、大勢の人が引っ張って巡行します。「山」は「見送りと水引(同上)」で構造物を飾るところまでは鉾と変りませんが、台の上には「テーマ」に応じた「拵え」を御祀りするだけで人は乗ら(れ)ず、原則、肩に担いで巡行します(今は移動用の車を付けます)。中には鉾と同サイズの車を付けた「曳(ひ)き山」という種類(3基)があり、鉾と同じように引っ張り巡行します。「山」は「鉾」と比べますとサイズがズーッと小型・簡素ですが格の違いなどは全くありません。とみひろは、この「山」の一つ、「山伏山」に所属しています。32基の鉾と山は各々、「固有名詞」が付いています。長刀鉾、菊水鉾、霰(あられ)天神山、山伏山と言うふうに。

次回はこの「固有名詞」についてお話ししたいと思います。 

それでは、みなさま今回も御高覧いただきまして
「まいどおおきに!」

2005年01月14日

「まいどおおきに!」(第二話)

前回、とみひろ京都店が祇園祭りの鉾町のひとつ「山伏山町」にあるとお話ししましたネ。
今回から暫らくの間、この「祇園祭」について話を進めたいと思います。

二条城の南側に「神泉苑(しんせんえん)」という処があります。今は、一角が料理屋になってますのでその庭かと見紛うのですが昔、平安京の頃は宮廷人のサロンになっていた場所で、祇園祭(祇園会・えとも言います)の起源を考える上で重要な処です。

祇園祭は九世紀後半(869年・清和天皇時代)、朝廷がこの神泉苑で六十六本の鉾を建て、「怨霊を鎮め・疫病退散を祈願した」ことが始まりとされています。京都の地形は盆地で山が近く、その上北から南へ下がる傾斜地で、雨の後などはしばしば山側から大量に水が流れ出し、自然と湿潤な環境になっていました。特に、梅雨時分の京都独特の「高温多湿」の環境が、蚊、ハエなどの害虫を大量に発生させ、疫病大流行の原因となっていたのですが、当時の人々はその原因を「衛生環境」にあるとは考えず、「御霊(おんりょう)」の崇(たたり)と考えました。多くの貴種・貴人・高位高官が皇位継承や官僚ポスト争いの犠牲になって、無実の罪に貶められ、非業の死を遂げていたからです。そういう不幸な人の恨み(怨霊)を慰め、慰撫することが「疫病制圧対策」に有効と考えたのです。

今、豪華華麗で華やかな「祇園祭り」ですが、最初は、こんなデリケートな動機から始まっているのです。

もうひとつ、祇園祭の起源で見落とせない大切なポイントがあります。
それは祇園祭は『勅祭・官祭(朝廷・天皇が掌する祭)である』という点です。
つまり、祇園祭は「国家行事」として始まりました。政治を行うことを「まつりごと」と言いますが、天皇がお祀りになることが「お祭り」です。全国、何処へいっても、お祭りはあり、むろん京都にも祇園祭以外にお祭りは沢山ありますが、「有名度」や「賑やか度」などの現象は兎も角として、「勅祭」かどうか、の一点でお祭りの性格や格が全く変わるのです。日本三大祭りと言えども例外ではありません。祇園祭と他の二つのお祭りには明らかな「性格」の違いがあります。ひとことで言えば祇園祭は「国の神事」、大パレード、エベント型のお祭りと祇園祭の性格の違いを頭に入れなければ、祇園祭は理解し難い所があります。この祭りが、途中「応仁の乱」の中断・三十年後に復活、という劇的なドラマを越えて千年以上の長きに亘って継続してきた息の長さも、この辺りに秘密かあるのかも知れません。

祇園祭は七月十七日・山鉾巡行がクライマックスで、その十日程前から鉾や山が建ち始めて段々とムードが盛り上がって行くのですが、実はお祭りの期間は長く、六月十五日からスタートして、いろいろな神事・行事が水面下で進みます。昔は「後祭り」でも、前祭りと同じく山鉾が巡行しました。七月一杯は祇園祭りの期間中です。
この続きのお話は次回に譲りたいと思います。

それでは、みなさん今回も読んで頂きまして   
「まいどおおきに!」

2004年11月25日

「まいどおおきに!」(第一話)

京都のイメージを言葉にしたら
千年の都、旧い家並、お寺、風景、名所旧跡の多い観光地、伝統行事・お祭り、学校と学生、女性が綺麗?
行って見たい所
嵐山・嵯峨野、三千院、清水寺、金閣寺、銀閣寺、哲学の道、舞妓さんに会える所、新撰組ゆかりの場所。
お祭りや行事
祇園祭り、大文字、時代祭り、都をどり、南座の顔見世。
食べたい、買いたい、持って帰りたい
京料理、精進料理、お豆腐料理、京菓子、お漬物、清水焼、西陣織、京友禅。

まだまだ一杯出てくるでしょうが、まずはこんな所でしょうか。

「山形」の会社がなぜ京都の話?との疑問、当然です。
実は、「とみひろグループ」は京都にお店があります。
しかも、街の真ん中、中京の室町(なかぎょう・むろまち)!にです。

「京都市中京区室町通り蛸薬師下る山伏山町(たこやくしさがるやまぶしやまちょう)」
これが正式な住所です。そして、住所の最後の所、山伏山町。これが重要なのです。

とみひろ京都の佇まいと祇園祭の傘鉾

千年以上続いて来た「祇園祭り」。日本唯一のお祭りですが、6~700年前には既に、室町の商人・町衆の手によって、今の豪華・華麗な形が整ったと言われます。このお祭りを支え、続けて来た地域を「鉾町(ほこちょう)」と呼びます。祇園祭りは鉾町の住人しか参加が許されてません。

「とみひろ」はその「鉾町の一員」と認められ、お祭りに参加しています。
その資格証明が「山伏山」なのです。

そんな訳で、京都・町衆の一人、「とみひろ」の魅力一杯の「都だより」をシリーズでお届けしょうと思います。

最初に並べた「架空のテーマ」も話題にしながら、「ユニーク・本物・とって置き」の話などに迫りたい、と思ってます。

こんなコトが知りたい、こんな所を教えて欲しい。ご注文は大歓迎です。

お便りをお待ちします。「とみひろの都だより」にご期待下さい。

それでは、みなさん、今回もご覧頂き

「まいどおおきに!」