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2005年07月03日

「まいどおおきに!」(第三話)

今回も祇園祭(会)の続きをお話ししたいと思います。
祇園祭と言いますと、反射的に、あの豪華な「鉾」の姿を思い浮かべる人が多かろうと思います。熱暑の都大路を、動く美術館とも言われる鉾や山が列を成して美々しく巡行する姿は一連の祇園祭りの行事の中で、最も華やかで堂々としていて、圧巻です。
既に室町時代の前半頃には、ほぼ現在の「山・鉾」の形が出来上がっていて、今と変らぬ姿で巡行していたことを思いますと、誰しもこのお祭りの歴史の厚さに圧倒されざるを得ないと思います。
祇園祭りは千年を超える歴史がありますが「鉾巡行」の歴史だけを考えましても七百年以上、続いています。しかし、前回にも少し申しましたが、都全体が焼け野原になった、あの有名な「応仁の乱(1466~1477)の為、三十年間中断をしています。そして、明応九年(1500年)に、長期の空白の後、復活しました。「乱」以前には鉾と山を合わせて58基ありましたが、「乱」後には半分強の37基に減りました。しかし、長い空白を超えて「復活」したことは奇跡ではないかと思います。このお祭りに込められた、特別な「重み」を感じざるをえません。今、「鉾」が7基、「山」が24基(内、3基は曳山)、合計31基が巡行に参加し、その内容は時代変遷と共に変化して来ましたが「数」はほぼ16世紀当時の規模を維持していると言えましょう。

 ここで「鉾と山」の違いについて簡単にお話ししておきましょう。

本当は「一目」みれば判るのですが、「鉾」は鉾屋根を四本柱が支えた形の構造物の真ん中に、真木(鉾:約25m)を立て(頭に鉾のシンボルが付く)、大きな車輪が四つ付いています。構造の周囲に豪華な「見送りと水引」(重文・国宝も多い)をめぐらせ飾ります。鉾床に囃子(はやし)方が乗り(約40名)、大勢の人が引っ張って巡行します。「山」は「見送りと水引(同上)」で構造物を飾るところまでは鉾と変りませんが、台の上には「テーマ」に応じた「拵え」を御祀りするだけで人は乗ら(れ)ず、原則、肩に担いで巡行します(今は移動用の車を付けます)。中には鉾と同サイズの車を付けた「曳(ひ)き山」という種類(3基)があり、鉾と同じように引っ張り巡行します。「山」は「鉾」と比べますとサイズがズーッと小型・簡素ですが格の違いなどは全くありません。とみひろは、この「山」の一つ、「山伏山」に所属しています。32基の鉾と山は各々、「固有名詞」が付いています。長刀鉾、菊水鉾、霰(あられ)天神山、山伏山と言うふうに。

次回はこの「固有名詞」についてお話ししたいと思います。 

それでは、みなさま今回も御高覧いただきまして
「まいどおおきに!」

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